金環日食見た!

2009年に沖縄で皆既日食(の部分欠け)を生で見たワタクシ、今回東京で(つまり自宅で)見ることができる金環日食に向けて、俄然張り切ってしまいました。 数日前より自宅から朝の7時に太陽が見えるかを確認し、日食メガネで見え具合を確認し、と傍から見たら何やってるのというぐらい日常とは異なる行動をとっておりました。

そして、本人的には満を期して迎えた日食の朝、朝の7時から窓辺にスタンバイし、曇り空に向かって「絶対に太陽を隠すな!」と強く念じること数分。 雲の切れ間から太陽を見ました! やったー!2回目!とばかりにカメラを向けたのが下の写真です。 一番まともに写っていたのがコレでして、ああ、撮影の腕を磨くの忘れた...というトホホな出来でございました。

沖縄の日食と同じく、月が太陽に完全に重なった金環時にはやはり地上はうす暗くなりましたね。 曇っていたので気付かない人もいたのではないかと思いますが、世の中がまたセピア色に。 何度見ても不思議な光景でした。

次に東京で日食が見れるのが、2035年の皆既日食。 私はおばあちゃんになっている予定ですが、見れるとよいなー。
Kinkannissyoku


| | コメント (0)

すごい地震だった・・・

地震が起こってから約1か月経ち、やっと心が落ち着くようになりました。 被災地の方々が一日でも早く平穏な生活に戻れるよう、心から願っています。

さて、地震の日とその後の東京の街の様子を少しココで書きとめておきたいと思います。 半分以上は自分の心の整理ですが。

当日は、平日の午後のことですからもちろん仕事中でした。 幸いにも会社も自宅も安定の悪かった物が床に落ちた程度で、大した被害はありませんでした。 震度5ってこんな感じか、といった程度で地震直後は東北地方であんなに被害が出ている、また、東京があんなに混乱するとは思いもよりませんでした。 地震直後に、車で外出する人を、気をつけてね~、なんて言って送り出したくらいですから。

ただ、確かに今まで経験した中で一番大きな地震でした。 本震で会社の中に居残ってしまった私が、窓から外を見ると、信じられない光景が・・・。 会社は都内でもかなり広い道路に面しているのですが、その道路の真ん中に周辺のビルに居た人々が大挙して避難してました。 別にホコ天でも何でもない道路で、車が通行しているそばからどんどん人が中央に渡っているのですよ。 びっくりです。 で、その後、社内で3時過ぎの大きな余震に遭遇してしまった私、次は一目散に外に飛び出しました。 もちろん、道路の真ん中まで飛んできました。 

その後、歩道に戻り、知り合いを見つけては怖いですね~、このビルオンボロですからね~、なんて言っていると、今度は津波警報のサイレンが鳴り始めたのです。 私、津波警報、生で聞いたの生まれて初めてでした。 しかも東京のど真ん中で。 不気味でした。 別に海に近くないんですけど、同じ区内には海に面しているところもあるからですかね。 

この時点でも、まだ、あんなに津波の被害が大きかったなんてよく分かってなかったです。

東京では地震発生後すぐに全ての電車が止まり、さて、何時頃運転再開かな~と思っていたのもつかの間、地下鉄の入り口のシャッターが昼間なのに下りる、大通りの歩道の幅いっぱいまできれいに並んでターミナル駅まで歩く人々の出現、全てが異様でした。 
電話もこの時点ですでにつながらなくなっていたんですよね。 固定電話も、携帯電話も。 メールも自分のメルアドをCCに入れて送っても、全然届かない状態でした。

ネットで情報収集して、これは当分電車が動きそうもないぞという雰囲気と何度も続く余震に、総務担当から「水とか食料とか買い込んでおいた方が良いかしら」の発言が出て、社員有志が一緒に近所のコンビニに買い出しに行くと、食料を買い込む人の列が昼休みの混雑時並みにありました。 
その頃はまだ食料や水にも余裕がありました。 でも、「地震の影響でクレジットカードは使えません」とレジに張り紙があったり、商品が飛ぶように売れる状態に店員さんが奥から在庫出せ!と指示するなど、異様な雰囲気でした。 そして外は帰宅を急ぐ人の列で、整然としつつも日常とは異なる雰囲気が満載でした。

夕方になると、雲が変な感じに出てきて異様な雰囲気がますます加速してきました。 歩道をターミナル駅に向かって歩く列も全く減りません。 一体東京のどこにこんなに人がいるのだ、というくらい列が減らないのです。 テレビでターミナル駅周辺に人があふれているという中継をしていましたが、そりゃ、あれだけ人が歩いて向かっているのだもの、あふれるのも当然でしょうと思いましたよ。 同時に、こりゃ、ホントに今日は会社にお泊まりだな、と腹をくくりました。 コンビニに行ってクレンジングやら化粧水やらのお泊まりセットを購入(笑)。
で、社内でテレビを見ながらヤケ酒を飲み、twitterで友人と連絡をとりつつ、夜の12時過ぎにありったけの服を着こんで自席で寝ました。 全然眠れませんでしたが。

翌日は朝に会社を出て、何とか動いた電車で帰宅しましたが、一息ついて買い出しにスーパーに行ってびっくり。 インスタント物が全て売り切れでした。 そして水も。 皆、素早い!と関心しましたよ。 お前がトロイんだというセルフ突っ込みをしつつも、何とか1週間程度自炊できそうな食材をゲットしました。 その後、原発の事故がクローズアップされ、水が危ないなんてニュースが出た時、ミネラルウォーターを買えなかったのを、心から悔みました。 ま、たいして気にはしてないので、水道水をがばがば飲んでいます(笑)

日曜日に友人と会うために池袋まで外出したのですが、街はいたって平穏でした。 さすがに普段より人が少ないのと、電車の運行本数が少なかったですが、デートしているカップルがいたり、親子連れがいたり、お店も営業しているし、「ふつー」で表現されてしまう状態で、テレビのニュースとのギャップが激しかった。

月曜日は、計画停電の影響で、電車のダイヤが乱れて大変でした。 私は何とか出社できましたが、社内の半数は電車に乗れず出社できない状態。 取引先からの電話もなく、社内は余震におびえながらも平穏に仕事していました(笑) 

珍しく平穏な月曜日が一変したのが、夕方に大規模停電の可能性のニュースが報道されてからで、社外の何人もの友人から、「大規模停電があるからって、会社に強制帰宅させられてる」というメールが飛びこんできましたよ。 何事かと思ったら、電力の供給量が足りなくって・・・という話で、社内の人々もそれを聞いて皆帰り仕度をして、飛ぶように帰って行きました。 私は仕事がぜーんぜん!!終わらない状態で徹夜も覚悟してたので、停電するまで仕事しよっと仕事を続けたら、結局停電は無く、11時過ぎに乗客のほとんどいない電車に乗って帰宅しました。

ただ、この夜の東京は、何があったんだ!というくらい暗い街と化していて、いつもの通りが知らない通りになっていました。 街灯やお店のショーウインドウのライトがほぼ全て消えていて、ちょっと心細い気がしましたよ。 人通りもほとんどなかったですし。 客待ちしているタクシーの列も消えていました。

この月曜日から、お店の営業時間の短縮や臨時休業、夜のライトアップの取りやめ、お店のショーウインドウの消灯、街灯の消灯、電車の臨時ダイヤ運行、その他「非常時対応」が始まりましたが、3週間もその状態にさらされると、慣れますね(笑) これが通常でも大丈夫、ってくらいです。 今後もライトアップしなくてもいいんでないの~?とか、本気で思いますしね。 ちょっと照明が暗い東京でも全然大丈夫っ! 慣れって、すごい。

今回の大震災は、東京では被害が少なかったこともあり、東京人は未来を考える余裕がある人が多いと思います。 東京の今までと今の「非常時対応」を照らし合わせて、省エネとかエコとか街のありかたとか、今までの東京をずっと続けるだけでなく、ちょっと方向転換することを考えても良いのではないかと思いました。

| | コメント (0)

失われつつある景色に思うこと

Tsukuda1
 「佃煮」で有名な中央区の佃という場所は、何だかノスタルジックな空間が広がっていそうなイメージですが。

 地下鉄有楽町線の月島駅で電車を降り地上にあがると、高速道路の高架橋と超高層マンションの乱立するいかにも現代的な光景にまず出会います。 清澄通りを北に向かい、適当な路地(といってもマンションの公開空地なのですが)を入ると、突然目の前に現れたのが年代物の木造の駄菓子屋さん。 周辺の建物とのギャップに驚きつつも中に入ってみました。

 とても幸運なことに店のご亭主と雑談することができ、実は某PCのCMの撮影現場だったことや、有名な芸能人が数多く撮影やプライベートで訪れていることを教えてくれました。 しかし、一番心を打たれたお話は昔から続く駄菓子屋さんならではのエピソードで。 

 昔は、近所に住む子供は小学校に上がる前からその駄菓子屋さんにお菓子を買いに行き、用がなくても遊びに行く一種の「たまり場」となっていたこと。 高校に進学した子たちにとっても、地元の友達と「うちの学校つまんないんだ」などと、ちょっぴり愚痴をこぼす場でもあったらしく、きっとご亭主は微笑みながら見守っていたんだろうなぁ、と思います。 だからご亭主は近所の子供の顔はたいてい知っていたそうです。

 その後は周辺の長屋が取り壊されて住人が転出し、一方でマンションが林立し街の景色も大きく変化し、子供もあまり駄菓子屋さんに寄らなくなったそうです。 店の目の前に100戸は超えていそうな高層マンションがあるのですが。 ご亭主は「マンションに住んでいる今の若いお母さんはスーパーの方が好きでしょう」とおっしゃって、穏やかに笑っておられましたが。

Tsukuda2
 昭和の時代にはどんどん減少していった人口が、その後のマンション開発により逆に人口が増加しているそうですが、人が戻っても日常の風景までは戻らなかったようで、生活の景色を残すのは難しいなと、さびしく思いました。


 駄菓子屋さんを出た後は、本来の目的であった月島のもんじゃ焼きをたらふく食し、私的メインイベントの東京湾大華火大会会場へ行きました。 もんじゃ焼きも花火も大満足でございました。

| | コメント (2)